Qiita(ソーシャルメディア)を用いた反復型書籍制作


私は、Qiitaを活用し、1つの書籍を商業出版するに至ったので、その制作モデルをここで紹介する。

ちなみに書名は「すべてのUNIXで20年動くプログラムはどう書くべきか」著者直販出版社直販Aのつくとこ)であるので、書店で見かけたら覗いてみてもらいたい。

ウォーターフォールは書籍制作の主流なのか?

この記事を書いたきっかけは、「ある社内プログラマが初めて技術書(『Docker実戦活用ガイド』)を出版するまで」という記事を見かけたことだった。その冒頭に書籍制作フロー図があるのだが、それを見て真っ先に思ったのが、

なんというウォーターフォール型制作モデル!

ということだった。大手出版社のコンピューター技術書の作り方の主流はそうなのか?それでいいのか?と、大いに疑問を感じた。少なくとも同人誌を読み書きして育った私の作り方とはまるで違う

Qiita(ソーシャルメディア)を用いた反復型書籍制作

私の作り方は次の図のとおりだ。

Qiita活用書籍制作フロー(後日きれいに作図するかも)
 ↓←←◆[公開校正←Qiita(ソーシャルメディア)に執筆]
 ↓←←◆[公開校正←Qiita(ソーシャルメディア)に執筆]
 ↓←←◆[公開校正←Qiita(ソーシャルメディア)に執筆]
 ↓  :
 ↓←←◆[公開校正←Qiita(ソーシャルメディア)に執筆]
 ↓
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(0)蓄積された記事群
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 ↓
 ↓
(書籍向けに選り抜き・編集・加筆・修正)
 ↓
 ↓←←表紙イラスト作画
 ↓
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(1)同人誌
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 ↓   ↓
 ↓ (販売)
 ↓   ↓
 ↓ (反響調査・効果測定・商業化判断)
 ↓   ↓
 ↓←←←←←←
 ↓
 ↓
 ↓←←◆[公開校正←Qiita(ソーシャルメディア)に執筆](追加記事)
 ↓  :
 ↓←←◆[公開校正←Qiita(ソーシャルメディア)に執筆](追加記事)
 ↓
(商業書籍向け選り抜き・加筆・修正)
 ↓
(プロによる編集)
 ↓←←プロによる表紙イラスト作画
 ↓
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(2)商業書籍(初版)
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 ↓   ↓
 ↓ (販売)
 ↓   ↓
 ↓ (反響調査・効果測定・改定版発行判断)
 ↓   ↓
 ↓←←←←←←
 ↓
 ↓
(同じ繰り返し)
 ↓
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(3)商業書籍or同人誌(改訂版)
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 ↓
 :

第一の反復「Qiitaに執筆・公開校正」

最大の特徴は「Qiita(ソーシャルメディア)に執筆し、公開しながら校正する」というのを反復の最小単位として、それをぐるぐる回しているところである。QiitaでやったのでQiitaと書いたが、ここで意図するものはQiitaだけというわけではなく、他のソーシャルメディアサービスやソーシャルメディアへのリンクが付いているブログでも構わない。

このスタイルは、ウォーターフォール的書籍制作モデルと比べると具体的に次のような特徴がある。

ウォーターフォール型書籍制作の場合 Qiita(ソーシャルメディア)利用反復型書籍制作の場合
執筆開始手続き 思い立ったらまず商業本企画を通し、構成を決める 思い立ったら、思い立った箇所からすぐ執筆
校正開始時期 執筆後、出版(=一般公開)前 記事一般公開後
校正要員 自分や身内のみ 不特定多数

執筆という一番肝心な行為をすぐに始められる旨を記したが、このように早く手を動かし始めることはとても重要なことだ。ソフトウェア開発だってそのはずだ。「鉄は熱いうちに打て」という格言もあるし、UNIX哲学でも「できるだけ早く試作する」といって、定理にされているくらいだ。

すぐやるのは執筆のみではない。書きあがったら、自分だけでの校正はほどほどにして、さっさと公開校正に切り替えるのだ。ツッコミどころがあれば指摘してもらえるからだ。面と向かって(Qiita記事のコメントとして)指摘してもらえることもあるし、Twitterや、はてな他の外部ソーシャルメディアでコメントされることもある。そしてこれも重要な点であるが、そうやって記事の内容の正しさが評価されるのみならず面白さも評価されるということである。これはまさにソーシャルメディアならではだ。

ただ、だからといって「ストック」や「いいね」などの数字がすべてではないことは心に留めておくべきだ。書く分野や難易度によってそれらの数が異なることはQiita投稿者なら言うまでもなく実感できると思う。

ここまでまとめると、「Qiita(ソーシャルメディア)に執筆・公開校正」というスタイルは、

  • 執筆意欲が冷めないうちに執筆ができる。
  • 知見が鮮明なうちに記事として固定化できる。
  • 多くの人を巻き込んで校正・推敲ができる。
  • 面白い記事かどうか客観的に評価できる。

などの利点をもたらす。

補足:無料で公開しちゃったら本が売れないだろ!

いいや、少なくとも私の経験則ではそんなことはまったくない。私がこれまで情報交換をしてきた出版業界関係者や著者の多くも、Webで公開したら売れなくなるとは思っていなかった。あなたがこれを信じられないなら、ぜひあなた自身で関係者に意見を聞いてみてもらいたい。

なぜそうなのか。私なりに推測すると、そもそもWebと冊子では客層が違うというのが理由だと思う。いや、Webと冊子という2つに分類するだけでは不十分で、さらにその中それぞれでも客層が違うと思う。例えば……、

  • Web無料派
    • Qiitaの記事閲覧で済ませる人
    • はてなのヘッドラインから追える記事の閲覧で済ませる人
    •  :
  • リアル書店派
    • 三省堂○○店でチェックする人
    • ジュンク堂○○店でチェックする人
    • (OSCなどイベント会場でチェックする人)
    • (コミケの同人誌版をチェックする人)
    •  :
  • ネット書店派
    • Amazonでチェックする人
    • 楽天ブックスでチェックする人
    •  :

といったさまざまな領域だ。そして多くの人は、(少なくともある1つの分野については)これら小分類まで区別して1つか2つ程度しか見ていないように思える。(これを読んでいるあなたはどうか?)実際、私の本を買ったという人に聞いてみると、「Webではコンピューター書はあまりチェックしていない」とか「元となるWeb投稿があったなんて知らなかった」という人が意外に多かった。そういう経験からも、この仮説はわりと正しいと考えている。結局、一人一人が日常的な情報源として巡回するコースはわりと限定されているということなのだろう。

もちろん、全員がこの経験則に当てはまるわけではないということはわかっている。Web無料記事も本屋もよく巡回するという人だって、いることはいるはずだ。だがむしろ、そういう人たちに対してはフリーミアムなコンテンツしてとして有効に機能するのではないか。Web上の記事は、

  • いつ消えるかわからないから不安だ。
  • 内容の精査が甘いのでいまいち信用できない。
  • 各々バラバラだが、まとまった形で読みたい。
  • 書籍に比べてパラパラ読みがしづらい。

などといって不満を感じる人もいるだろう。そういう人たちにとってみれば、それが書籍を選択するきっかけになり得る。記事のフリーミアムいうと「続きを読みたければ有料」のようなものを思い浮かべるかもしれないが、これはそんなセコいフリーミアムではない。

第二の反復「同人誌版→商業本初版→改訂版→…」

先に示した図のように、反復はもう一つその外側にもある。それは、(蓄積された記事群)、同人誌版、商業本初版、改訂版……といった、「版」である。

この反復単位では、

  • 記事の選り抜き
  • 本の構成(目次案)検討
  • 必要に応じた加筆・修正
  • 編集(商業版ではプロが担当)
  • 表紙作成(商業版ではプロが担当)

を行う。さらに完成後、販売(頒布)をしてその売れ行きや感想などから評価を行い、商業化(または改訂版発行)するかどうかを判断する。

また、第一の反復であるQiita投稿は、最初の版(蓄積された記事群)を出すまでの繰り返しではない。その後も得られた知見があれば都度繰り返して記事群を蓄積してく。そして次の版に取り入れるのだ。

同人誌という版を経る意義

第二の反復をするにしても商業本初版から始めて、第二版、第三版、……、としていき、べつに同人誌を経なくてもいいと考えるかもしれない。だが私は、同人誌はとても重要な版だと考えている。

逆に同人誌を飛び越していきなり商業出版での企画を起こそうとすると、比較的出版社からの強い意見に翻弄されるように思える。

  • 「我々出版社の経験上、こうした方が売れるからこうしてくれ」
  • 「その話への言及は批判を浴びて危険だからやめてくれ」

もちろん、数々の経験に基づく有用な意見もあるだう。そういうものは取り入れる方が著者も出版社も読者も皆、幸せになれる。だが、今どきはどうもそうでないものが多い気がする。

現代社会における疲弊が進み、

  • リスクを取るのが面倒くさいから
  • 前例が無い(誰も知らない価値を開拓するのが面倒くさい)から

とか、そういう志の低い人が増えているように思う。特に大きな出版社ほど。 その結果、Webや同人誌で溢れているような斬新な要素がそぎ落とされたしょーもないものがゴロゴロ生み出されている。なぜ同人誌即売会は相変わらず大人気なのに、出版業界は右肩下がり1なのか、いっちゃ悪いが出版業界の人々は「Webのせいだ」などと責任転嫁してないで2、必死になって考えるべきだ。

そういうヌルいこと言っている担当者をねじ伏せる最終兵器こそ同人誌なのだ。同人誌は、(印刷・製本を除き)企画・編集・販売まですべて自分でやりたいようにやる。つまり、誰にも阻止されることなくあなたのアイデアが100%本に反映される。そして、どれくらい売れ、どれくらい好評or不評だったか、ハッキリと結果が出るのだ。

売れなければ効果はないが「売れる同人誌」という結果をそこで出してしまえば、物凄く強力な企画書代わりになる。 「こうしないと売れない」なとどいった志の低い意見が出てきたとしても、その売れた実績をかざして黙らせられる。しかもそれは、物凄く具体的な設計書でもある。実物を見せ、「こういう意図があってこの本はこういう形にした」と軽く言葉を添えるだけ。無駄に設計図を描く必要も、説明文を書く必要もない。

同人誌を経れば、試作コストも回収できる

しかも、同人誌を作れば試作コストを回収することもできる。何せ「売る」のだから。

ただしこの時肝に銘じるべきは、売れ残ることを心配して不当に安い値付けをしてはいけないということ。それでは売れる本の証明にはならないし、経験上、適正価格より安い値付けをしても売れないものは売れない。つまらない本を「半額でいいから」と言われたところで、あなたは買う気が起きるだろうか?そういうことである。

でも売れ残ったら大赤字。印刷・製本代って数万円から数十万円でしょ?そんな余裕はないよ。

と思うかもしれない。いやいや、売れなさそうに思えたら、印刷に踏み切らねばいいだけの話だ。何のためにQiitaなどのソーシャルメディアで記事を公開してきたのか?それでも不安なら友達に意見を聞いてみればいい。というわけで、そういった材料に基づいて判断すれば100冊作って、1冊も売れないような結果を被ることなどありえない。

そういうわけで、商業化する前に作った本がこれだ。(手前の本。奥の本は比較用)

この同人誌(初版)の印刷・製本代は、300冊で20万円弱だった。個人的趣味で(商業版では不可とわかっているが)某出版社のパロディーにするためカバーを付けたことで割高になったため、なければもう1,2万円は安かったかもしれない。そしてこの本に1000円の値をつけて売り、全部売れた。そして商業出版する提案を1つの出版社に働きかけた。3

「表紙を某パロディーにしたから売れたんだろう」と疑念を抱くかもしれないが、そんな浅い理由だけで読者は買ってくれはしない。今までのQiitaのストックやコメント等で反響が得られるくらい価値のある記事をまとめたからこそついた結果なのだ。そう確信している。

そうして、商業本制作のために反復に入り、めでたく完成。そして書店に初入荷した時の姿がこれだ。

数週間後、某通販サイトでUNIX書における二冠も達成した

その後の2015年11月。さらに記事が溜まってきたので、同人誌として改訂版を出す4べく一度反復を行った。さて、今度は商業本の改訂版でも作るべく反復をしたいところだが、どうだろう。出版社は乗ってくれるだろうか……

まとめ

  1. 記事を書きたくなったらすぐにWeb(ソーシャルメディア)に記事書き、公開校正するという第一の反復をして、洗練された記事単体を増やしていこう。
  2. 同人誌、商業本初版、改訂版、……というように、その外側で第二の反復をして、記事のまとまり(=本)として洗練させていこう。
  3. 同人誌という「版」を経ることを強く勧める。志が低く、本をダメにする修正要求を撥ね除けるうえで、同人誌は物凄く強力な企画書・設計書になる。

  1. 15年書籍、雑誌の販売額 過去最大の減少 前年比マイナス5.3%@東京新聞 

  2. そもそも出版業界は、旧態然としたルールで自分たちを互いに保護しているうちに、過酷な競争に晒されて逞しく成長してきたWeb業界に勝てない体質に陥っただけだ、と私は思っている。 

  3. 出版社を決めた最重要ポイントは「志の低い提案で本をダメにしないところ」ということであった。そして「いい本を世に送り出すためなら取次と喧嘩してなんぼ」という気概を持っているという点が決め手になり、商業本を作ってもらう出版社が最終的に決まった。 

  4. 「商業出版した後で同人誌で出していいのか?」と疑問を持つかもしれないが、文書の著作権を譲渡する契約にしたわけではなく、また同人誌から商業本へのテキストのforkはしたが逆はやっておらず、本書の場合は全く問題なかった。(出版社もちゃんと同じ認識である)