失敗を披露できるひとは強い


2021.11.30 にtwadaさんの講演を聴く機会がありました
参考: 【感想文】t_wadaさんがやってきた - Qiita

Q. 「認知負荷の高いコードを読み解ける人」が「頑張って」修正をこなしてしまうことが現場では称賛され得るが、遠回しに自分達の首を絞めていると思います(= 危険性が減っていない) どうしたらいいでしょうか?

A. レガシーコードの怖いことはだんだんなれていくこと。新人や若手の役割が重要になっていく。日々、チームメンバーがわからないことを分からないと表明していくことがとても大事である

(ざっくり目ですが)などという問答がありました。すみません。昨日もそう書きました。
質問できるひとは強い - Qiita という話を若い人々や「知らない」人への尊敬を込めて書きました。

Long, long ago.

「認知負荷の高いコードを読み解ける」、それはいつの間にか誤った成功体験の積み重ねと自信となってしまい、自分ができることをできない者 に誤った圧力をかけるふるまいになってしまう。

俗に言う「老害」の誕生です。今日「老害」は「おっさん」あるいは少しだけ丁寧に「おじさん」などと表現されます。あまりポジティブなワードではなさそうです。

一方

自分の属する社内では、比較的 ポジティブな文脈 で、「役職は無いが組織の縦横の風通しに積極的なベテラン芸人開発者層」 を「おじさん」と呼ぶこと、が広まりつつありました。弊社の平均年齢は30そこそこ のようなので、40代が見え隠れしつつあるベテラン芸人開発者にとって、背伸びして「おじさん」ぶりたい、陽のあたる場所に居たい潜在意識があったのでしょう。

しかしここでの「おじさん」、いずれも30代後半から40代以内です。世間のいわゆるおじさんと比較しては若手と言えます。若手のおじさんってなんやねん。もちろん、先の、ネガティブワードとしてのおじさんとの区別も少し難しいですね。

そこで降りてきたワード

_人人人人人人人_
> おにいさん <
> おねえさん <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄

おにいさんおねえさんの誕生です。30代後半から40代以内の者が、つまりいい年こいた者がおにいさんおねえさんとは全く滑稽です。いいのです。

ここで冒頭にも紹介した 質問できるひとは強い - Qiita に戻ります。若い人々の強みが「質問できること」わからないことを分からないと表明していくことであるとしたら、ここでおにいさんおねえさん開発者の強みとは何でしょう。

「失敗は成功の母」

「失敗は成功の母」という言葉がありますね。
本来、失敗にはむしろ良いことしか無いのでその失敗を披露することのメリット3つを書いてみます。

1. アンチパターンがわかる。
2. 皆もよくぞ教えてくれたと思ってくれる。
3. もしかしたらとても勇気のある人だ、と思われるまである。

私の考えをお伝えしましょう。以下です。

_人人人人人人人人_
> おにいさん  <
> おねえさんは <
> 失敗の上級者 <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄

Now.

失敗なんてひけらかして評価が下がるかも? いえ、誤った評価を受け続けるより全く良いです。というか今更不惑を向かえるおにいさんおねえさん開発者に失うものなどあるのでしょうか。疑問です(私は不惑です)

むしろよくぞ過去を共有してくれたと皆から思われたいし、過去の失敗、設計の失敗、誤った事例は語り継ぎたいです。

社長室に呼び出しを受けたことはありますまいか - Qiita
「失敗を許容する」なんて言われても失敗したくないです - Qiita
などと2020年に書きました。まだ控えめだったなと少し反省しています。失敗を披露できるおにいさんおねえさんは強いです。これもレガシーコードに立ち向かう技の一つではないでしょうか。

冒頭の伏線回収、そして明日に続きます。以上です~。