結局のところ「記録」より「記憶」


最初にお断りしておくと...表題の件の後半は某野球選手の言葉ですね。

スクラム開発手法とか、正しいやり方とかで顧客の要望や満足に応えるサービスを作る。
ビジネスの価値を証明する手段として開発スピードや成果物の量などから形として「記録」を提示する。
仲間の貢献を「記録」をもとにフィードバックする。

それってもちろん大切なことだと思います。

自分がよく思うのは
記録を作るだけの人生に価値がどれほどあるのだろうかということです。

こういうでしょう
「ビジネスをやっている以上、記録でモノをいうべきだ。何よりやった証明・証拠がいる」

確かに。

でも
チームで動いているのは人間です。
顧客も人間です。
お客様も人間です。

自分が思うのは
対価を払ってやってもらったことに対して
記憶が残ったことを振り返り感謝するようにしています。

それは
やってくれた人がいて
何かを残した証だと思っています。

そして
反対の立場でも
何かを残してみせる

そろそろ
記録だけを残そうとするマインド
やめてもいいのかなって思います。

1日
1年

今年何したっけ?
って、ある種の「記録病」を要因にしていると思ったりもします。

そろそろそういうの
やめてもいいのかなって。

生き方として。