技術の評価に失敗するのはなぜか。 -生きている技術を適正に評価するために-


(記事のタイトルを変更しました。)

技術の評価に失敗している場合が日本社会には多いと思っている。
なぜ、技術評価に失敗するのか、失敗を減らす方策を提案したい。

この記事では、企業の中で技術戦略を考えるため人に、失敗を減らすのに役立つ指針を示せればと思っている。
また、製品の開発の中で、自社で技術を開発する人、パートナー企業との開発中の技術を評価して採用して開発を推進する人にとって、失敗を減らすのに役立つ判断材料になればと思っている。

原則

以下の諸原則は、私が勝手に命名したものです。

価値観表明の原則

  • 企業での技術評価は、会社の事業戦略によって、どのような技術に価値を置くのかという価値観の表明でなければならない。
    • 企業での技術評価は、その時点での会社の技術戦略と双方向に影響を与えるものである。
    • 価値観は、その会社が何を実現するのかを表明するものです。
    • 社会にとって新しい価値を生み出すのかどうかという点です。
    • よその会社も開発しているから、自社でも開発するというだけでは、十分なレベルの価値観の表明ではありません。
    • よその会社が開発していなくても開発するものでなければなりません。

主体性の原則

  • 企業での技術評価は、外部の機関による評価を待ってはいけない。企業内部で自身の価値観によってなされなければならない。
    • 理由:会社の技術戦略の失敗を、シンクタンクや技術雑誌のせいにすることがあってはならない。
  • 企業での技術評価は、開発中・開発直後の評価でなくてはならない。開発5年後では遅すぎる。、

    • 理由:開発5年後では、既に開発チームは失われている。開発1年後でも解散していることがあるだろう。
  • その会社にとって何が価値を持つのかという点です。その会社の体力の考慮も必要です。
    - 赤の女王仮説「その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない」ことから、企業において、新しい価値を創造しないという選択は、緩やかな死をもたらすだけの判断だと考えます。

未完成の原則

  • 技術は常に不完全な状況で登場する。
  • 企業での技術評価は、今の時点での完成度ではない。あといくら注入すれば産業的に意味のある技術のなるのかという視点の評価でなくてはならない
    • 理由;すべての技術は不完全な状況で生まれてくる。あと少しの改良がどの程度のなのか。
  • 10人中10人がOKと判断するときには、常に遅すぎる。

好き嫌い排除の原則

  • 企業での技術評価は、技術者への評定ではない。これからその技術をどう成長させるのかの戦略をつくるための作戦である。
  • 企業での技術評価は、研究者・技術者に対する個人的な好き嫌いであってはならない。
    • 理由:それが新規の技術であればあるほど、技術を開発のために、周りの協力を求めるために四苦八苦駈けずりまわっています。そのため、周りの方にご無理を承知でお願いすることは大いにありうることです。惚れ込んでいる可能性のために、既存の技術の限界について言いすぎてしまうことがあるかもしれません。「ささいな改良ではなく、本質的な新しい技術が必要なんだ」と主張することは、日々改良に励んでいる人の心を傷つけることがあるかもしれません。そのようなところからくる個人的な好き嫌いではなく、技術自体に対する評価をしなくてはなりません。

評価手法の検証の原則

  • 企業での技術評価は、その企業の事業戦略を改訂するなかで最適なやり方を見つけるように改良され続けなければ意味がない。
    • 企業での技術評価は、その評価者自体の評価の妥当性を、記録に残る手法で検証されなければならない。

具体的な項目:

価値観表明の原則に対応した項目

  • 事業戦略の中で何が価値があるのかを判断できない人は、どんなに人間的にできている人でも、どんなに過去の成果が優れた人でも、企業での技術評価をさせてはならない。
    • 世の中の企業では、責務に対して自分が何を意味がある寄与ができるかで考えるのではなくて、「自分は偉いんだ。だからこれだけ報酬をもらって当然だ。」、「自分は偉いんだ。だから自分の指示に従え。」という発想をしてしまう人がいることがある。それは悲しいことだ。
  • その企業に属さない人々に価値をもたらさない技術は、企業での技術評価として無価値だ。
    • 互換機ビジネスであっても、ユーザーに選択肢や価格の自由度を与える限りは価値をもつ。
    • 内製のEDAツールは、その企業の外に人にとって意味をもたない状況では、企業での技術評価として無価値だ。

事例

自社のEDAツールに固執していた日本メーカーはEDA技術の急速な進歩に遅れを取り、またそれで設計したIPは汎用性を失うだけではなく、外部の優れたIPを簡単には利用できなくなるという、遅れた開発環境に取り残されていきました。

事例

いっぽう日本の半導体メーカーのSOCの場合、外販より自社内や国内向け家電製品用などに開発されるものが多くを占めていました。たとえば自社の携帯電話に搭載するコアのチップについては、当然、社内装置部門との緊密な連携のもとに行なわれるわけですが、その内容は装置事業部のノウハウに当たりますから外部にはノウハウが提供されません。

 したがってそのように開発されたコアのチップは、生まれ落ちた時点から特殊なものに止まり、汎用=業界標準にはなりえないものでした。また国内向けの家電を初めとする電子機器向けのSOCは国内市場の伸びの低下もあって数量にも限界がありました。

主体性の原則に対応した項目

  • 他人の評価を元にしてだけしか評価できない人は、生きている技術の評価に割り当ててはいけない。
  • 論文の被引用件数、もたらした収益は、生きているうちの評価ではなく、「その時点での企業での技術評価が適切だったか」の事後の評価に過ぎない。
  • 「自分が退職するまで安泰であれば」などいう考えを持つ人を、企業への技術評価の担当者にしてはならない。
    • その結果が意味のある失敗さえできない企業が数多く生じてしまう理由になる。
  • 成功するための事業の構築から責任回避する人を、企業での技術評価の担当者にしてはならない。
    • そのような人は、可能性の高いどのような有益なアイディアや技術でも、現時点での欠点をあげつらって、何一つ決断できず、「いいアイディアがありませんでした。」と言い続ける。
  • 原理的な部分でないものねだりをする人を、企業での技術評価の担当者にしてはならない。
    • 「新技術△△を習得している人で、◆◆の事業分野の経験があって、しかもマネジメント経験がある人」という無茶振りな求人条件をだして、それのどれかが欠けていると言って人を排除してしまう事例がある。
    • これには、「◆◆の事業分野に新技術△△が強力だと判明したばかりの時点」で言っているから呆れるしかない。「新技術△△を習得している人」で新しいものを作り出せる人であるということだけで採用すべきだ。その事業分野の特性については、その事業所のなかにいくらでも知っている人がいるだろう。

雑誌のせいにされた日本半導体の凋落

「1990年代の後半、あいつが“日本はDRAMなんか止めろ”とクソミソにけなしまくった。そして、“日本はSoC(System on a Chip:1つの半導体チップ上にプロセッサやメモリなど必要とされる一連の機能を集積した半導体集積回路)に舵を切るべきだ”という記事を書きまくったのだ。あいつが、日本半導体をミスリードしたんだ」

事例

前例があり、ましてアメリカがやっていることならば、失敗しても申し開きができる。前例のないことをやれば、失敗したとき自分の逃げ場がなくなる。
こうなると「新しい提案」はことごとく否定されてしまう。イノベーションの芽を、自らがつみ取っている。

事例

当時(1980年代後半)日本の風潮は、政府民間をあげて「メモリに非ずば人に非ず」の空気だった。そのなかで松下電器は半導体をやりながら、なぜメモリにもっと力を入れないのかと、内外から私に批判が集中したものだ。そのとき、私は繊維産業の隆盛と衰退の例を引いて説いたのだが、誰も耳を傾けなかった。松下電器があの悪夢のようなメモリ・ビジネスの大波乱の影響を最小限に食い止められたのは、私の判断が正しかったことを示している。半導体で2000億、3000億円の赤字を出した企業がいくつも出たのだから。だからといって誰も過去に帰って褒めてくれるわけではないが。

未完成の原則に対応した項目

  • 「その考え方が常に世の中の多数派と同じ」人ばかりで評価してはならない。よってたかって多数派と同じ失敗をして、「他だって失敗しているんだから仕方ないよ」と考えてしまう人は、社会的に意味のある挑戦・意味のある失敗をすることができない。

  • 技術開発・製品開発の局面では、常に技術は未完成の状況で現れてくる。そのときに、将来性を見出すことができるか、技術的な困難をどれくらい克服できそうか、楽観的な場合の見通し、ありそうな場合の見通しなどを含めて評価する。していけないのは、その時点で未解決のことだけに着目して、否定のための否定をしてしまうことだ。

好き嫌い排除の原則に対応した項目

  • 「優秀な人は年齢に関係なく優秀である」という考え方をもっていなければならない。どんなに若い人であれ、どの職制の人であろうが、その人の良い部分をよいと認められる柔軟さを持ち合わせない人を、 企業での技術評価の担当者にしてはならない。

    • ある人の経験談:新入社員の声でも傾聴してくれた技術トップ 「その企業グループでは、同じカテゴリーの製品を複数の部署で製造販売していました。競い合っていいものを作ろうとすること自体は悪いことではないのですが、同じブランド名でデータの互換性がない製品を出していてはユーザーを失望させてしまうことは自明でした。そのことに対する思いを新入社員が、企業グループの技術のトップの方にたまたまお会いした席でお伝えしたことがあったそうです。そのような年端のいかない何も結果を出していない人の意見でも、傾聴していらっしゃいました。」
  • 技術自体の良さは、技術自体で判断することです。

    • 開発した人への好き嫌いで、技術自体を判断してはなりません。
  • 技術を新規につくりあげようとする人は、解決手段を求めて駈けずりまわります。

  • 新しいものをつくり上げるための行動様式は、既存のものを改良するための行動様式とは異なります。

  • 既存のものを改良するための行動様式で、新しいものを作り上げる人を評価してはなりません。

評価手法の検証の原則に対応した項目

  • ある時点で行なった判断が妥当だったかの検証を行わなくては、よりよい判断を行う主体的な企業になりえません。
  • ある時点で行なった評価について評価が妥当だったのか検証を行うことです。
  • 必要なのは、より適切な判断を次回に行えるようにすることです。
  • 判断者への評価や査定などには結び付けないことがよいと思う。判断者への査定などに結びつけると、査定を良くするために、判断を歪める恐れ*があるためです。

最後に

生きている技術を生きているうちに有用な判断をすることは、判断する側にとっても生ぬるいものではない。
判断を間違えると、ひとつのプロジェクト・ひとつの事業、ひとつの会社を失敗に陥れる。


付記:

悪貨は良貨を駆逐する。

ずさんな統計に基づいて結論を無理強いしたい人がいるとします。そういった人が影響力を持つ人の場合には、きちんとした統計処理で、データ解析と検証とを行なっている人は目障りな存在としてうつります。自由度の高すぎるモデルで多変量解析をすると、解析したデータセットに対して少ない残差でフィッティングできます。そのためにデータ処理の怖さを知らない人は、とてもよいモデルだと信用してしまいます。ところが、自由度の高すぎるモデルというのは、別のデータセットで検証すると、まったくでたらめという結果になって、どうしてこんなことになったのだろうと疑問に思うことになります。
 (詳しくは 赤池情報量規準 などの記事を参照してください)

これと同じことは、機械学習でも検証を行わずに、学習データについてのフィッティング誤差を評価したときに同じような結果になります。
不健全な組織の場合には、ずさんなやり方をしているものに対して、それがずさんであることを気づかせる行為をする人を排除する現象が生じます。その結果ずさんなやり方がはびこることになります。

追記:1.2億人の母集団で33兆円の推計誤差
どうしてこのような規模の推計誤差を生じて、値を下方修正に至ったのか?
統計には誤差が付きものです。ですから、計測の場合には、どの程度の誤差を伴うのかを含めて計測します。
モデルが間違っていない場合には、誤差の推計の範囲程度に、実際の誤差は収まります。
そのため、誤差の大きさを理解したうえで(通常は)議論を進めます。

その分野のプロフェッショナルとは信じがたいレベルにまで、データを扱う技術水準が低下しているのだろうか?

出世という権力闘争の中では、自分が得意とする分野が重要であって、自分が得意としない分野は重要ではないと、周辺に思い込ませることによって権力を維持するなどということがありそうです。
「悪貨は良貨を駆逐する」を生じさせてしまっていないのか?

 

成功しないアプローチにしがみつくな

物事を成功させようとするならば、成功しやすいように組織運営することです。
今、自分たちが成功しようと思っている分野で幾多のライバルに打ち勝つことのできるアプローチをすることです。
みんながみんなAというアプローチをして成功していないという状況があるなら、Bという別なアプローチで成功させてみようとするのも1つです。

ライバルが、その分野で有能な人員を獲得するのに努力して、適切な判断ができる人は年齢にかかわらず適切な処遇をしていることを知るべきです。
20年にわたって成功にたどりついていないとすれば、そこには何か、「成功しないアプローチ」を自分たちの組織は抱え込んでいるのではないかと疑ってみてください。

失敗を命取りにしないために

関与していない技術が、将来主流になる技術かどうなのかの予測も簡単ではない。

主流にならない技術の特徴

  • その技術が普及してうれしい人が、その技術を開発している企業だけに限られている場合。
  • 技術が進展したときに、それを取り入れられず足かせとなってしまう条件が入ってしまった規格。
  • 理想的な状況においてのみ性能が確保され、すこしでも条件が悪化した時には性能が確保されない技術。