[読書メモ]学習する組織 - 9章メンタル・モデル


メンタルモデルとは?

物事に対する自分の認識のこと。
自分の中の常識と言い換えてもいいかもしれない。

自分の世界の見方を反映するものであり、同時に、そうであるが故に自分の行動にも強い影響を与えるものである。
例えば裸の王様という童話を例にとると「王様には威厳がある」というメンタルモデルのせいで、人々には裸の王様のありのままの姿が見えなかった。

つまり、人は選択的に物事を見ているということです。
アインシュタインの「何を測定するかを決定するのは理論なのだ」という言葉にも上記の内容が言い表されています。

(So what?)だからなんなのか?

このメンタルモデルが潜在意識下で作用している場合に、問題になることがある。

なぜか?

それは下記のような状態になってしまうからです。

  1. 自分の中で当たり前のことなので、その存在に気づきません。
  2. そのため、その前提が検証されることがありません。
  3. すると、改善(変更)されることもありません。
  4. いつのまにか現実から乖離した認識を持ってしまっている。
  5. そのため、現実からかけ離れた逆効果の行動を取ってしまう。

例えば、かなり無理がある以下の例を考えて見てください。
1. 若いうちは無茶しても大丈夫、という認識を持っていたとします。
2. 潜在意識下での認識なので、疑問に思いません。そのため、その前提を疑いません。
3. 前提を疑うことがないので、無茶は良くないという認識に変わることはありません。(暴飲暴食など)
4. 暴飲暴食は年に関係なく、体に良くないが、その現実と認識の乖離に気づかない。
5. よくないけど、それを続けてしまう。

(Then what?)じゃどうするか?

常に、自分が持っているメンタルモデルを意識して、検証・改善をする必要があります。
この時に意識する必要があることとして、以下4点に注意する必要があります。

  1. 信奉理論と使用理論の乖離にむきあう
  2. 抽象化の飛躍を認識する
  3. 左側のセリフ(本音)を明らかにする。
  4. 探求と主張のバランスをとる

1. 信奉理論と使用理論の乖離にむきあう

自分で信じていると言っている現実と実際の行動の乖離を見つめます。
例えば、以下の例を考えて見ます。
1. Aさんは「人を信じている」という信奉理論を持っていたとします。
2. だが、Aさんは人にお金を貸すことは頑なに拒むし、人に仕事を任せることもありません。

この場合、(人を信じるということとお金を貸せることがイコールかどうかという議論はあるとして)Aさんが言っていることと実際にやっていることが異なっていますね。
ただ乖離自体は悪いことではありません。
なぜならこの乖離が認識されない限りは、どんな学習も起こらないためです。
学習のため一歩ということです。

これは自己マスタリーのところでもあった様に、創造的な緊張ですね。
ここで重要なのは、この信奉(理想)が本当に自分にとって大切なものなのか(本当に自分のビジョンの一部なのか)を問うことです。

もしこの自問に対する回答がNOなら、この乖離はビジョンと現実の乖離ではないでしょう。
おそらく、(世間の目を気にして)推進する考え方との間の乖離ということになります。

2. 抽象化の飛躍を認識する

自分が思っている一般原則というのは、ある事象から抽象化したものであることがほとんどです。
この時、その抽象化は本当に妥当なのかを検証することが重要です。

例えば、投稿リストからグリッド表示を削除しました。
何人かのユーザから不満の声が届いています。
それに対して、「ユーザから不満が出ている」という観察された事象を「ユーザはグリッド表示を求めている」という抽象化をしてしまうとします。

この抽象化が何の疑問もなく受け入れられると、グリッド表示は必要という一般化が定着してしまいます。
そうなるとグリッドがなくなったことで何が問題なのか?などの学習機会が奪われてしまいます。(ちょっと適当になっちゃいましたが、要旨が伝われば問題ないです)

3. 左側のセリフ(本音)を明らかにする。

自分の行動や、会話の時の本音を明らかにすることです。
あの時言わなかったけど、本当はこう考えていた。
こう言ったのは、こういう思いがあったからだと言った、自分の行動のパターンとその構造的な要因を把握するのに役立ちます。

4. 探求と主張のバランスをとる

主張するというのは、多かれ少なかれ自分の考え方を相手に押し付けている状態です。
主張の背景にあるのは、自分の前提です。(メンタルモデル)
主張ばかりしていると、自分のメンタルモデルを変化させるチャンスを失います。

そのため、自分の主張や前提に対して相手からのフィードバックを求める探求という行動が必要になります。

しかし、ただ探求だけをすればいいということでもありません。(探求というよりは、相手の意見を聞いているだけ)
なぜなら、人は何かしら意見を持っています。
探求だけをしているというのは自分の意見を人の目に触れさせて、検証されるのを恐れているために気づかない間にとっている行動です。
自分の意見を隠している場合にも、それが検証されることがないため自分のメンタルモデルを変化させる機会は失われます。

所感

組織に対しても同じことが言えますね。(そもそも本では組織への適用についても書いてますが、個人の視点でまとめ始めた方が得るところが大きいと思ったので割愛)
画期的なアイデアも、決断する人の常識から考えてそれが正しく見えなければ実行されることはありません。

そのため、みんながこのメンタルモデルの考え方を共有して、変革に対してオープンでいる必要があります。

自己マスタリーのところで述べられていた、真実を認識すること(自分の行動に対して、内面的にネガティブな圧力がかかったりしたときに、何がおきているのかどういう感情なのかを言語化して認識すること)がなぜ大切なのかがわかった気がします。

言語化して、認識することで次のアクションに繋げられるからっていうことですね。
何かわからない、何となくXXな状態って放っておくと今後も同じことが起きたときに、その圧力に屈するしか無くなりますが、そういう現実と友達になって対処法を見つけることが大切なんだなと思いました。